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鑑識眼を持つ、ということ

このコラムでは何度も登場しているバブル時代の日本経済の話。証券会社と損害保険会社でトップセールスマンとして華々しい活躍をし、当時の日本経済の一端を担っていたといっても過言ではないのが藤井のスーパーサラリーマン時代である。戦後の経済復興からバブル経済までのおよそ50年で、日本は大切なものをなくしてしまった、と藤井は感じている。それは文化を愛でて鑑賞するという行為そのものの喪失であり、ひいては鑑識眼の喪失である。ひと昔前は、経済人の中に、いわゆる“目利き”と呼ばれる人々がいて、芸術家や文化人を育てる土壌を自ら生み出していた。現在日本の主な美術館は、そうした経済人たちが、収集した美術品を一般に公開する目的で開設したものだ。そこには、私腹を肥やすのではなく、文化を愛でる、若手を育てる、という意志が存在していた。

ところがバブル経済はそうした鑑識眼を日本人から奪い去ってしまったのだ。これは住宅などの不動産にも同じことがいえるのではないだろうか。土地を開発して建物を建て「はい、いくらです」と言って売りつけている。数字だけで物事が進行していくのだ。それよりも、この土地はどんな歴史を刻んできたのか。どんな人々の思いがこもっているか、そしてそうした繋がりを次世代にどう渡せばいいのか。そんな思いをくゆらせることこそ、不動産業にできる文化の創出であり、鑑識眼の醸成ではないだろうか。もしかしたら夢物語なのかもしれない。そういわれてもいいので、シー・クエンスの宅地開発は、鑑識眼をもって取り組んでいきたいと思っている。