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シー・クエンス
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賽銭泥棒の告白

「ここには絶対に書かないでほしい」と藤井は言っていたが、シー・クエンスの仕事の流儀にもつながると思われる話なので、あえて記することにする。以前ここに母への想いについて書いたが、母とふたり暮らしをしていた藤井少年は、毎月給食費の封筒を自宅に持ち帰る日が嫌で仕方なかったという。来月の給食代金を母にもらわなければいけなかったからだ。経済的に余裕がないことはわかっていた。母を困らせたくない一心で、ある寺の賽銭箱に手を伸ばしたこともあったという。小銭がいっぱい入った給食費の封筒を先生に渡すと、先生は黙って受け取ってくれた。それがどんなお金なのかは先生にはわかっていたはずだ、と藤井はいう。そして寺の住職も賽銭箱に手を入れた子供のことを見てみぬふりをしてくれた。賽銭泥棒を繰り返すことはなかったが、藤井少年が自分を制することができたのは、大人が黙って見守ってくれていたからではないだろうか。もしその時、咎められていたら、藤井の人生はちがう方向を向いていたかもしれない。なぜなら、子供にも理屈では説明できない心の葛藤があったから。「人に恵まれたおかげで、いろんな局面を乗り越えてきた」という藤井の人生は、子供のころに運命づけられていたのかもしれない。そしてその寺には、大人になってはじめて給金を手にした時から、毎年寄進を続けているという。